2016年4月に日本遺産に認定された『北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並み(※)』。日本遺産認定の主な文化財である成田山門前の町並みを歩き、「成田ボランティアガイドの会」会長の小川信子さんの案内で成田山新勝寺を巡りました。
【※】歴史的建造物や伝統芸能といった有形・無形の文化財を地域やテーマごとに認定する「日本遺産」に、江戸を支えた北総四都市、佐倉(城下町)・成田(門前町)・佐原(商家町)・銚子(港町)を舞台とした文化・伝統を語るストーリーが認定された。
江戸時代から庶民の篤い信仰を受け、成田山新勝寺の門前町として発展した成田市。当時、成田に向かう人々は、その往来で佐倉城下や宗吾霊堂など名所旧跡にも立ち寄ったとされます。参道には参詣客の疲れを癒すため、利根川や印旛沼の川魚、銚子の醤油で味付けした鰻料理をふるまう旅館等が軒を連ねました。昔の人々も、参詣時は鰻の良い香り漂うこの道を歩き、旅館で体を休めていたのですね。現在も昔の名残を留めた風情ある町並みと長い下り坂は、まるで江戸時代への入口のようです。
●大野屋旅館
江戸時代中期創業。現在の建物は1935年建築。国登録有形文化財(建造物)。
●一粒丸三橋薬局店舗
国登録有形文化財(建造物)。創業280年、土蔵造二階建ての漢方薬局。明治前期の建築。『はらのくすり成田山一粒丸』は、その昔、道中薬といわれ、この薬ひとつで何病にも良いとされていたとか。
●成田山新勝寺
真言宗智山派の大本山。平安時代中期、平将門の乱の際、939年の朱雀天皇の密勅により、寛朝大僧正を不動明王の御尊像と共に関東の地へ遣わしたことに起源を持ち、千年以上の歴史をもつ全国有数の霊場。また、歌舞伎役者・初代市川團十郎が子宝に恵まれず、成田山で祈願したところ2代目を授かったことから屋号を成田屋としたそうです。
ここからは、境内の主要箇所を紹介します。
・総門
2007年建立。総高約15m。この先は、お不動様の御庭。一礼してから入ります。八体の生まれ歳守り本尊が奉安され、欄間にあたる蟇股には、十二支が彫刻。門をくぐる際には是非頭上を見上げてみて下さい。
・仁王門
手水舎で手と口を清め、修行の為とされる急な
石段を登ると仁王門があります。1831年再建の国指定重要文化財。左右に 密迹金剛・那羅延金剛、裏仏には広目天・多聞天が奉安され、四方向を守っています。多聞天の足元には、お顔がとてもかわいらしい天邪鬼が。「魚がし」と書かれた赤い大提灯は、魚河岸講の奉納によるもの。
・香閣
立ち上る煙を体の痛い部分や、具合の悪い箇所にあてると良いとされています。手水舎の水で手と口、香閣の煙で心を清める事を「身口意のお清め」といいます。
・大本堂
1968年建立。御護摩祈祷を行う中心道場で、堂内には不動明王を中心に四大明王、平成大曼荼羅を奉安。
「隠れた名所は、大本堂の北側を守る裏仏。不動明王の本地仏・大日如来を中心に、聖徳太子、虚空蔵菩薩の三体の裏仏がご本尊を護っています。こちらもお参りしてみてください。また、大本堂後背の石垣には、不動明王と脇侍の矜羯羅童子・制多迦童子の他、50体ほどの露仏が奉安されています。」とガイドの小川さん。大本堂裏の景色は、正面の荘厳な雰囲気とは別の崇高さがあり必見です。
成田山新勝寺の本堂は、新しい本堂を建立する際、移築されました。
・前本堂「釈迦堂」
1858年建立。中央に釈迦如来、左右に普賢・文殊・弥勒・千手観音の四菩薩を奉安。江戸後期の特色を残した総欅造りの御堂。開運厄除けのお祓い祈祷所。
・前々本堂「光明堂」
1701年建立。堂内には、本尊の大日如来を中央に、脇侍に不動明王・愛染明王を安置。縁結びの祈願所。
・最初の本堂「薬師堂」(表参道内)
1655年建立。1855年に現在地へ移築されました。薬師堂が本堂の際、徳川光圀公や初代市川團十郎が参詣したと伝えられています。
また、境内には国の重要文化財である三重塔や額堂、八角の回転式経蔵(一切経堂)、朝昼晩と除夜の鐘がつかれる鐘楼等、まだまだ見所満載。四季によって趣を変える成田山公園では、例年2月中旬~3月中旬に梅まつりが開催されます。また、4月末〜5月末には「成田山開基1080年祭記念大開帳」が行われます。
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「歴史や仏教は知れば知るほど奥深く身近に感じます。私達がガイドする事で興味を持ってもらえたら嬉しいです。」と小川さん。
何度も足を運んだことのある成田山新勝寺でしたが、ガイドをお願いした事で見逃していた細かい建立物の細工や裏仏をお参りする事ができ、新たな発見がありました。日本遺産認定を機に、江戸時代から伝承された成田山の歴史に改めて触れてみませんか。
成田ボランティアガイドの会
【受付】成田山信徒会館1階 10時〜15時
【お問合せ】☎0476-22-2111(代)