船橋市北部から白井市、印西市にまたがる千葉ニュータウン。
遥か昔、縄文時代や古墳時代には何もなかった…と思いきや、実はたくさんの遺跡が発掘調査 されています。そのなかには約3万年前の旧石器時代のものも あり、人々が生活を営んでいた遺物が発見されているのです。
千葉ニュータウンの発掘調査では、旧石器時代から江戸時代にかけて使われた土器や石器が発掘され、その時代の生活や文化を知ることができます。注目すべきは、その発掘された石の産地です。ヤリや調理の道具として使われた石器は、切れ味の優れた石材が必要だったのでしょう。栃木県や群馬県といった北関東や、信州、伊豆でしか見られない石から作られた石器が出土しています。移動手段が限られていた旧石器時代に、すでに石材とともに人々が広範囲に移動していたと考えられています。
その後、縄文時代、弥生時代の特徴ある土器や竪穴住居跡なども多く見つかっています。
そのなかで、印西市戸神地区の西根遺跡では、縄文時代後期(約 3〜4千年前)の大量の土器のほか、赤い漆を塗った飾り弓などが出土。
船尾地区の北総花の丘公園敷地内の船尾白幡遺跡では、弥生時代後期(約2千年前)の竪穴住居跡が16軒調査確認されており、未調査部分を含めると大規模なムラ(人が集まり住む区域)があったであろうと考えられています。調査された区域は残っていませんが、周囲には今も遺跡が眠っています。
この地域は、今の印旛沼、手賀沼から霞ヶ浦、北浦までが一体となった広大な内海・香取海が広がっていました。奈良・平安時代のいくつかの書物に記されています。『常陸国風 土記』には「安是の湖、西は流れ海」、『日本書紀』には「玉浦、葦浦(所々に浅瀬がある浅い内海)」、「今昔物語」には「衣河(鬼怒川)ノ尻、ヤガテ海ノ如シ」と記され、穏やかな 内海を中心とした生活が営まれていたので しょう。
住みやすさを求め て人々が移動し集まってきたのは、昔も今も同じ。一番古くから新しい町、千葉ニュータウンだったのですね。
写真:千葉県教育振興財団承諾
☎︎043-424-4850