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印旛に残るやさしい龍の伝説 印旛郡栄町 龍角寺 印旛沼「龍伝説」

2018-01-17

 北総に横たわる印旛沼。上空から見ると龍の形をしているとか。太古の昔から人々が印旛沼に住む小さな龍を崇め、多くの地名や寺院に龍の文字が残っています。地域に残る龍伝説とは・・・。

◆龍伝説
 昔々の大昔。印旛沼には小さな龍が住んでおり、たびたび人間の姿になって村人達を訪ね、楽しく過ごしていました。ある年、印旛沼付近は長く日照りが続き、雨乞いもむなしく田畑は干乾び、村人達は餓死をも覚悟していました。それを知った龍は、いつもあたたかく迎え入れてくれる村人達への恩返しとして、降雨のために自分の身を捧げることを決意。大龍王が降雨を止めているため、雨を降らせることになれば大龍王の怒りを被り、自分の体は三つに裂かれて地上に落とされるだろう、と村人に伝えて姿を消しました。すると天に昇っていく龍の姿が見え、その姿が雲のなかに見えなくなると、雷鳴と共に稲妻の光の中で龍の体が三つに裂かれ、そしてまもなく雨が降り出しました。
 七日七晩続いた雨が止むと、二本の角をもつ頭は龍閣寺(栄町)、腹部は地蔵堂(印西市)、尾は遠く離れた大寺村(匝瑳市)で見つかりました。龍閣寺は龍角寺と改め、腹部を納めた龍腹寺と、尾を納めた龍尾寺も建てられ、やさしい龍神様を祀っています。
 そののち、印旛沼からたびたび龍灯(※)が現れて三つに分かれ、それぞれの場所に向かうと言われています。
(※)日本各地に伝わる怪火。主に海中より現れ、海に浮かんだ後、海岸の木などに留まるとされている。

◆龍角寺
 伝説が色濃く残る龍角寺は、元明天皇の時代、和銅2(709)年に建てられ、天平3(731)年に小龍の頭が落ちて龍角寺と改名された、とその縁起に残されています。本尊「銅造薬師如来坐像(どうぞうやくしにょらいざぞう)」は、東京調布市深大寺にある釈迦如来倚像とともに、関東に残る白鳳仏(はくほうぶつ)として国の重要文化財に指定されています。坐像の天井には龍が雲によって3つに分けられた絵が配され、龍伝説が語り継がれていることの証となっています。
 寺に落ちてきた小龍の頭の骨も龍角寺に保存されており、春の桜まつりや秋のふるさと祭りで公開されます(※)。
(※)毎年、栄町の桜まつりは4月の第一土日、ふるさと祭りは11月3日となっていますが、今年の開催日についてはご確認ください。

 また、瓦を焼いた窯跡から1,000点以上の文字瓦が発掘されており、7世紀の文字資料としては全国最多。龍角寺は房総最古の瓦葺き寺院で、大化の改新後数年から数十年のうちに、下総国中部を支配した「印波国造(いんばのくにのみやつこ)」関係の氏寺として建立されたのではと、考古学的な研究により分かってきています。瓦に彫られている文字は「朝布」「服止部」などの周辺の地名を表しており、麻を栽培し、麻布を生産して朝廷に送っていたのではないかとも言われています。
 境内の東側一角にある国指定史跡の「龍角寺境内の塔阯(とうあと)(不増・不減の石)」は、花崗岩(かこうがん)で内径66・6㎝の円柱(高さ推定33m)を支えていた跡。文化5(1808)年写本の『龍角寺縁起』によると、永和3(1377)年に三重塔の修理を行った記録があります。また東西に並んでいる金堂跡から、法起寺式(ほっきじしき)の伽藍配置(がらんはいち)(※)であったとされており、創建時には三重塔がある立派な寺であったことがうかがえます。
(※)古代寺院の塔、金堂(仏殿)、講堂、中門、南大門、回廊、鐘楼、経蔵などの主要堂塔の配置を伽藍配置といい、塔と金堂を東西に並立する奈良の法起寺にならったものを法起寺式という。

 地域の人々は市民 ミュージカルで演じるなど、龍伝説を大切に思っています。地名に龍の字が多いのは、龍に守られたことに由来しているのですね。(H)

【住 所】印旛郡栄町龍角寺239
【アクセス】JR成田線「安食駅」から安食循環バスで「龍角寺入口」下車、徒歩3分。※バスは日曜・祝日休み
【問合せ】栄町教育委員会生涯学習課 ☎︎0476-95-1112(代)

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